仏像鑑賞のための基礎知識 尊格ってなに?

仏教にはさまざまな役割を持つ仏(尊格)が登場します。

仏教には様々な仏、菩薩様がおり、とても複雑です。仏像を鑑賞するための知識として、様々な仏(尊格)について紹介します。

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仏教の尊格

それぞれの尊格はそれぞれの性質、法力を持っており、ご利益をいただけると考えられています。それぞれの尊格を鑑賞し、お祀りすれば、自分の心の中に眠っているその力、創造力を触発し、成長させることになります。

旧来、日本に伝わった仏教の尊格は、インドの仏教で言えば、8世紀頃までの尊格です。仏教はその後500年に渡って発展し、多くの尊格が生まれました。

それらはチベットやネパール、中国には部分的に伝わっていたものの、日本では現代になってから徐々に知られるようになっているだけです。尊格の種類・位を紹介します。

仏(仏陀・如来)

「仏」のことは、「仏陀」とも、「如来」とも呼びます。「仏」は、もちろん、死んだ人のことではなくて、悟りを得て解脱した存在です。「如来」とは「あるがままの真理に到達した者」、インドの原語では「あるがままの真理を悟った者」という意味です。

部派仏教(小乗仏教)では、基本的に仏教の開祖である歴史的人物であるお釈迦様(ゴータマ・シッダールタ)以外の仏を認めません。ですが、大乗仏教では、お釈迦様以外にも、過去にも未来にも、また他の世界にもたくさんの仏がいらっしゃると考えます。 阿弥陀如来、薬師如来などなどです。

また、個々の如来や人間として現れる如来とは別に、真理そのもの、宇宙の原理そのものである如来を考えるようになりました。如来の、この形を越えた真理そのものである部分を「法身」と呼びます。 『法華経』の久遠実成の本仏、密教の大日如来はこの真理の本体を表したものです。

仏母

如来が持つ空の智慧などを尊格化したのが「仏母」です。智慧が仏を生むから「仏母」と呼ぶのですが、「智慧・般若(プラジュニャー)」、「波羅蜜(パーラミター)」、「空(シューニャ)」はすべてインドでは女性名詞なので、これらを女性の尊格とすることは自然なことなのです。

「仏母」はほぼ仏・如来と同格の女性の尊格です。般若仏母が最初に考えられた「仏母」です。後期の密教では、「仏母」は物質の根源的な元素や気のエネルギーを象徴するようになって、「荼吉尼」や「母天」と呼ばれる女性尊が「仏母」と等しい存在と考えられるようになりました。

仏頂

如来の頭頂の盛り上がった部分が仏の智慧の象徴とされ、その力、その呪文の尊格化されたのが「仏頂」です。 「仏頂」には仏頂尊勝のような女性の尊格もいます。日本では広がりませんでした、お釈迦様のお母さんである摩耶夫人も各地で崇拝されています。

キリスト教の聖母マリアに当たる存在です。「摩耶(マーヤー)」は神の精妙な創造力の意味です。ただ、「幻」、つまり「無知・無明」をも創造します。この意味では、智慧の尊格としての「仏母」とは反対の意味になります。この反対のものが仏の目から見れば一致するという考え方こそが仏教の教えです。

本初仏

後期の密教では、宇宙の初めから存在する最も根源的な如来として「本初仏」を考えるようになりました。金剛さったなどが「本初仏」と考えられました。

如来が描かれるときは、それぞれの如来ごとに決まった印相(手の姿形)があるので、これによってどの如来であるかを見分けることができます。(印相の決まりは菩薩や祖師にもあります。)

もともと、如来は修行僧の姿で描かれまていましたが、後期の密教になると、菩薩のような着飾った姿や、たくさんの顔・腕を持った姿、怒りを現した姿、女性の尊格と交わった姿など、様々な姿で描かれるようになりました。

菩薩

お釈迦様は、過去に何度も生まれ変わって修行をされてきた結果、とうとう悟られて仏になったのだと考えられています。「菩薩(菩提さった)」とは「悟りを求める者」という意味で、本来はこのお釈迦様が仏になる前の修行中の姿を指して呼びました。

菩薩の役割

大乗仏教は、従来の部派仏教(小乗仏教)の僧侶が、世俗を避けて自分の悟りのための修行ばかりしていて、お釈迦様のように他人を救うことをしないことを批判しました。

そして、大乗仏教では、自分の修行を最優先せず、また悟りを得ても世俗を捨てて解脱してしまうことなく、他人を救うことを重視して活動する存在を、「菩薩」と呼ぶようになりました。

菩薩の種類

様々な菩薩が考えられるようになりました。観音菩薩、文殊菩薩、普賢菩薩、地蔵菩薩、弥勒菩薩などです。准胝観音、白衣観音、多羅菩薩など、女性の菩薩もいます。密教では、菩薩は人々を救うために様々な姿、沢山の顔や腕を持つ姿などで現れると考えるようになりました。

千手観音のように、特別な姿で現れた観音を「変化観音」と呼びます。また、如来が人々を救うために仮に菩薩の姿をとって現れることもあると考えられるようになりました。

後期の密教では、男性の菩薩は感覚器官と、女性の菩薩は感覚の対象と関係づけられるようになりました。そして、女性の菩薩は、「供養菩薩」とか「金剛女」と呼ばれました。

真言(陀羅尼)

象徴的・連想的に経典の真理を伝える呪文的な文言を「真言(マントラ)」とか「陀羅尼(ダラニ)」と呼びます。「真言」は比較的短いもの、「陀羅尼」は比較的長いものが多いようです。

「真言」は男性名詞なので、男性の尊格、「陀羅尼」は女性名詞なので女性の尊格と関係が深いようです。真言・陀羅尼は唱えることで、その真理の内容を心の中に呼び起こすことができます。とは言っても、あらかじめ教義の内容を理解していなければ無理です。

真言(陀羅尼)の神格化

真言・陀羅尼は密教で重視されますが、初期の仏教の頃から存在し、日本でも浄土真宗以外は唱えます。やがて、真言・陀羅尼の言葉の力そのものが神格化されるようになりました。「明」とは真言・陀羅尼の智慧のことで、それを身につけている人を「持明者」と呼びます。

明王

「明王」は「持明者」の王、あるいは最高の「明」という意味です。「明王」は真言・陀羅尼の力そのもので、密教で重視される尊格です。「明王」は「仏」や「菩薩」が仮の姿で現れたものだと考えれるようにもなりました。

「菩薩」は慈悲を持って人を救う姿、「明王」は力をもって人を救う姿というわけです。「明王」は「菩薩」とほぼ同格の尊格でしたが、後期の密教では「明王」の方が重視されるようになりました。

守護尊

特に後期密教の経典の主尊は、チベットでは「守護尊」と呼ばれ、如来の特別な現れと考えられ、如来と同格の存在として大変重視されました。「守護尊」には時輪仏などがいて、金剛亥母など女性の尊格もいます。

明王の役割

多くの「明王」は、怒りを現した表情に、髑髏の飾りをつけたり、動物の生皮を着たりと恐ろしい姿をしています。多くの顔や手を持つこともあります。これは仏教の敵を倒し、人間の心の中の煩悩を打ち砕き、救いがたい人間を救うための姿です。

明王には息災や降伏を祈願することが多いようです。「明王」には、不動明王、降三世明王、大威徳明王などがいます。馬頭観音や大黒天も本来は「明王」です。孔雀明王はインドでは女性なので、正しくは「明妃」と呼ぶべき尊格です。

明妃

真言・陀羅尼を尊格化した女性の尊格を「明妃」だと考えることができます。後期の密教では、如来などが女性尊達と交わった姿で描かれることがあって、 これらの女性尊を「明妃」と呼ぶこともあります。いずれの場合も、「仏母」も含めて「明妃」と表現されます。

女性尊の位については、「仏母」か、女性の「菩薩」か、真言・陀羅尼の尊格化としての「明妃」か、はっきりしないことが多いようです。ですから、チベットでは「女性尊」という分類を設けています。

仏教では、神様も悟っていなければただの神様でしかありません。人間と同じようにやがては死んで輪廻する存在で、もちろん、仏よりも低い存在です。

主にインド(バラモン教やヒンドゥー教)の神々を「天」を呼びます。「天」は「デーヴァ」の漢訳です。インドでは善神達を「デーヴァ」、悪神達を「阿修羅(アスラ)」と呼びます。ただ本来は、「阿修羅」は「デーヴァ」の親の世代に当たる、至高の神々でした。

仏教では、インドの神々が仏教に帰依して、仏教を守る「護法神(護法尊)」となったと考えて、これらの神々を信仰する人たちに布教しました。

天部

仏教では「護法神」となった神々を「天(天部)」と呼びます。仏教は、中央アジア、チベット、中国、韓国、そして日本と、各地でそれぞれの神々を取り入れてきました。

天部には福徳や財宝など現世利益に関する尊格も多くいます。こういったお願いは、なかなか仏や菩薩にはできないので、天部にお願いすることが多いようです。「天部」には帝釈天、梵天、毘沙門天、大黒天、聖天などがいます。 また、女性の「天部」には弁才天、吉祥天、荼吉尼天などがいます。

密教の考え

密教では、神々は仏や菩薩が仮の姿をとって現れたものだと考えられることもあり、日本では仏教サイドからは「権現」、神道サイドからは「明神」と呼ばれるようになりました。

「天」に属さない神々

厳密に言えば、「天」には属さない下級の神々、精霊、悪鬼達に中にも重要な尊格がいます。ただし、「天」に属する神々かどうかははっきりと決まっているわけではなく、尊格の位は時代によって大きく変化します。

例えば、お釈迦様の警護役だった執金剛(仁王)は下級の存在でしたが、後期の密教では「本初仏」にまで登り詰めます。荼吉尼も最初は下級の悪鬼の類だったのが、後期の密教では「仏母」まで含めて指すようになります。

八部衆

毘沙門天、飛天なども本来は下級の神・精霊です。「八部衆」としてまとめられている尊格の内の「天」以外の7つは、このような下級神の種族名です。

それらは、悪神の「阿修羅(アスラ)」、天の神に仕える半神的な飛天である「乾闥婆(ガンダルヴァ)」、樹木の精霊・悪鬼の類である「夜叉(ヤクシャ)」、コブラの神である「龍(ナーガ)」、ニシキヘビの神である「摩目侯羅迦(マホーラガ)」、蛇を食べる霊鳥である「迦楼羅(ガルダ)」、半獣半人の「緊那羅(キンナラ)」です。

鬼子母神、十二神将などもこれら下級神に属する神です。本来、天部は王族階級、阿修羅はバラモン僧と関係が深く、夜叉などは農民や原住民の豊穣神だったという見方もあります。

阿羅漢(羅漢)

部派仏教(小乗仏教)で悟りを得た聖者を「阿羅漢(羅漢)」と呼びます。一方、大乗仏教では、菩薩の一歩手前の聖者を「阿羅漢」と呼びます。お釈迦様の高弟達である「仏弟子」や、「阿羅漢」、そして、各宗派の「祖師」達も崇拝の対象として、像や画の素材になります。